シンプルライフ・アドバイザー
橋本慶子
人生の酸いも甘いも経験し、現在は片づけで困っている人のお手伝いができないかと、介護・実家の片づけの経験を活かして独立。
大阪で生まれ育ち、23歳~51歳まで北海道暮らし。
現在は、大阪在住。56歳です。
●好きなモノやこと/リフレッシュ方法
発酵食品を作る事、食べる事・裁縫・読書・アロマテラピー
リフレッシュには、瞑想・体操・ストレッチ・ハンモックでゆらゆらする・車を運転する事です。
●モットー
自分の機嫌は、自分でとる!!をモットーに、切り替えが上手にできます。
明るく、笑顔でコツコツと、今を大切に過ごすこと。

このホームページでは、私自身が出来る事、今までの体験・経験
色んな事を書いて、私の言葉で発信していけたらと思っています。
そしてこのページかなり長くなっています(^^;)
「いざ片づけようと思っても、『何から始めれば…?』『どう進めたら…?』と、途方に暮れてしまうこと、ありますよね。私もかつて、同じように悩んでいました。
誰に相談しようか、頼もうかと考えた時、『家事代行サービス』や『ハウスクリーニング』『整理収納アドバイザー』『オンライン片づけ』『ライフオーガナイザー』様々な片づけ支援サービスがあることに気づきます。
正直な思いをいうと、そのどこのサービスに頼んでも片づけはできる!と思っているんです。
何が言いたいのかというと、結局のところ、誰に頼むかなのだと私は思うのです。
私自身が片づけに悩み、たくさんの時間を片づけに費やしてきました。
だからこそ、私はまず、お客様が思い描く『理想の暮らし』をじっくりとお伺いすることから始めます。どんなモノに囲まれていたいか、どんな空間で過ごしたいか。お客様の価値観やライフスタイルに合わせて、本当に必要な片づけの形を一緒に見つけていきたいんです。
お客様の心を開いていただくには、まず私自身が開示することが大切だと考えています。
このページでは、私の片づけへの想いや、これまでの経験を通じて得た価値観など、少し長くなりますがお話させてください。
『この人なら、安心して任せられるかも』と感じていただけたら、ぜひお気軽にお問い合わせください。
料金についても、ご不明な点があれば、どんなことでも遠慮なくお尋ねください。一つひとつ丁寧にご説明し、ご納得いただけるよう努めますので、どうぞご安心ください。料金設定など、色々ややこしいなと思われるかもしれませんが、出来る限り分かりやすくお返事をしていきますので、どうぞ安心してお問い合わせくださいませ。
1968年生まれ
0歳〜23歳 大阪市
24歳〜51歳 北海道
(札幌1年・釧路4年・帯広22年)
51歳〜現在 大阪市
子供時代
私が片づけや収納に強い関心を持つようになったのは、中学生の頃でした。
当時、私たち家族は市営住宅に住んでおり、残念ながら自分の部屋という空間はありませんでした。
妹と二人で一部屋を分け、薄いふすまで仕切られているだけ。
しかも、そのふすまはほとんど開けっ放しで、リビングと一体になったような状態だったんです。
そんな環境の中、母が買ってくれた二段ベッドは、私にとって初めての『自分の場所』と言える、大切な心の拠り所でした。
妹と一緒に使う勉強机はありましたが、なぜかいつもベッドに寝そべって教科書を広げていたのを覚えています。
母は、狭いながらも私たちを懸命に育ててくれました。ただ、限られた空間に家族5人全員の物があるので、どうしても物は多くなりがちでした。
特に父は、物をなかなか捨てられない人で、壊れた物でも『修理すればまだ使える』と大切に保管していました。父は、大工仕事からちょっとした電気工事までこなせる器用な人だったので、そのための道具もたくさんあったんです。
忘れられないのは、一度、爪切りが見当たらなくなった時のこと。
父が激しく怒り、家族が大騒ぎになったんです。
その時の詳しい話は長くなるので、また別の機会にさせてください(笑)。
ただ、この一件がきっかけで、私は『なぜ物はなくなるんだろう?』『もっと使いやすく整理整頓するにはどうすればいいんだろう?』と、強烈に片づけや整理収納の世界に興味を持つようになったんです。
狭い家で気兼ねなく過ごせない日々から、私は自然と外に居場所を求めるようになりました。
中学時代は、朝練から夕方遅くまで、バスケットボール部にひたすら打ち込んでいました。
それは、私にとっての現実逃避でもあり、とても大切な居場所でもありました。
高校生の時、近くに住む祖母の家が火事に見舞われました。建て替え後、一部屋空いているというお話があり、一年間ほど居候させてもらったことがあります。
早くから自立したいと思っていた私にとって、それは一人暮らしの予行演習のような時間でした。
そこで私は、『気持ちよく暮らすためには、ただ掃除をするだけでなく、物の配置や整理収納が本当に大切なんだ』と、肌で感じたのです。
そして『自分の事は自分でなんとかしていかなければ』と、当時から考えていました。
高校でもバスケ部に入ったのですが、バイトしてお金を稼ぎたいと思い、高1の夏休みからは部活を辞めて、近くの喫茶店でバイトしていました。そこから私は数々のバイトをしました。
親に何かを相談したり、頼ったりするという経験は、ほとんどありませんでした。
…いや、正確に言うと、『できなかった』のかもしれません。
色々な家庭の形がありますよね。私は3人兄妹の真ん中で、両親からは常に『お姉ちゃんなんだから、しっかりしなさい』と言われて育ちました。自分自身でも、そうあるべきだと強く思っていました。私にとって両親は、反面教師のような存在でもありました。
もちろん、育ててくれた感謝や愛情は、しっかりと感じています。
母は専業主婦で、今思えば少し潔癖症だったのかもしれません。
モノは多いけど、家の中はいつもきれいでした。
お祭りの屋台の食べ物は『ホコリがついているかもしれない』『何が入っているか分からない』と、決して買ってくれませんでした。
家でおやつを食べる時も、必ずチラシを敷き、床にこぼさないようにするのが当たり前でした。
母の料理は和食が多く、手間を惜しまず、いつも丁寧に出汁を取り、私たちの健康を考えて美味しいご飯を作ってくれていました。
社会人時代
そんな私が社会人になり、初めて一人暮らしを始めた時の喜びは、今でも鮮明に覚えています。
誰に気兼ねすることなく、自分の好きなように使える空間。壁の色、家具の配置、ほんの些細なことまで自分で決められることが、本当に嬉しかったんです。
社会人として最初に飛び込んだのは、不動産業界。
営業事務として働く傍ら、なんと会社が経営していたレストラン、宝石店、エステサロンなど、様々な店舗でも経験させてもらう機会に恵まれました。
まるでジェットコースターのように、新しい場所、新しい仕事へと飛び込む日々。
その度に、住む場所も変わるという、刺激的な毎日でした。
しかし、時代の波には逆らえませんでした。
バブル経済の終焉とともに、勤めていた会社がまさかの倒産。
人生が一転するような出来事でしたが、私はこの機会を新たなスタートだと捉え、夏のシーズンだけ北海道へ行くことを決めたんです。そして、そこで運命的な出会いが… なんと、一年半後にはその人と結婚することになったのですから、人生は本当に予測不可能ですよね。
結婚するまでの私の引越し回数は7回、北海道では9回
人生を通して、なんと計16回もの住まいを転々としてきました。
狭い家から広い家、アパートから一戸建てまで様々な広さやタイプの家で暮らした経験は、今の私の血肉となっているように感じます。
そして、離婚を機に私が戻ったのは、懐かしいあの市営住宅でした。
母はすでに他界しており、父が一人で暮らしていました。
まるで導かれるように、私が大阪に戻った直後から、アルツハイマーを患っていた父の介護が始まったのです。
家の中には、物がとても多くて、私が帰った次の日に、父がたくさんの物が積んでいる方に転んで、頭を怪我して、病院に連れて行くという事がありました。
『せめて、父がこれ以上怪我をしないように…』その一心で、私はその日から、実家の片付けに取り掛かったのです。
それは、想像をはるかに超える量の物でした。
一体、いつからこんなに物が溜まってしまったのだろうか…。
実家の片付けの奮闘記は、別のカテゴリーで詳しく綴っていきます。
もしご興味があれば、ぜひそちらも覗いてみてください。
実家の片付けは、想像をはるかに超える困難さでした。
長年積み重ねられた父の物は、私にとって価値が分からず、かといって認知症の父に無断で捨てるわけにもいきません。
狭い家だと分かっていたから、北海道からは本当に大切な物だけを持ってきたはずなのに、モノと向き合うことで、本当に必要なモノって何だろう?と、ひたすら考える日々が始まりました。
溢れかえる物に囲まれる中で、私は初めて『執着』という感情と深く向き合うことになったのです。
北海道時代
ここからは、私の人生においてかけがえのない20年間となった、北海道でのパン屋経営についてお話させてください。二人の子どもたちに恵まれ、長男が3歳になった1999年、なんと次女が生まれたその月に、店をオープンしました。まだ幼い娘をおんぶしながらレジに立っていた頃を思い出すと、今ではちょっと信じられない光景かもしれませんね(笑)😅
たくさんの経験ができました。 個人事業から法人へ。
ほとんどの事務仕事も自分でやりました。
毎年の確定申告から、法人になる時には定款を自分で作成して、法務局で手続きをしました。
やれる事はなんでも自分でやりたいと、やってしまう性格です。
それでも、会社が大きくなるにつれ、会計士さんも入ってもらい、自分の時間を確保するためにスタッフに頼むと言うことも学びました。
色々な仕事、そして店をやっていく中で、“どうやったらスタッフ皆が分かりやすく、もっと仕事がしやすくなるだろうか・・・”と、包装資材などの在庫管理なども含め日々整理整頓を心がけていました。
整理整頓って、とても時短になります。探すという行動・時間は本当にもったいないのです。
そして、安全確保や品質の安定、原価・数字にだって明るくなります。
ないと思って仕入れる事も、動いていない商品もわかりやすくなります。
良い事尽くめです。
職場の整理整頓は、みんなでルールを決めて、色んな個性があるからこそ、誰にでもわかりやすくシンプルに、そう思ってやっていました。
いつも、どうやったらもっと早く丁寧にできるかな?
そんな事を考えていたと思います。
この頃に、整理収納アドバイザーの2級を取得しています。
私はいつしか店の事と育児、自分自身の成長のために、頭がいっぱいだったのだと思います。
そして、突然訪れた離婚という現実。
もう一緒に居られないんだな・・・と悟った私は、残った人が困らないように、できる限りのことを半年間かけてやって来ました。
事務のこと、パソコン関係のこと、販売側やカフェのこと、在庫管理など分かりやすいようにしてきたつもりです。
それは、自分にとっても子どものように大切なお店に対して、後悔のないように、自己満足であったかもしれませんが、やり切った感はありました。
その時、周りの人たちに、離婚することを打ち明けられなかったことだけが、悔いではありますが、それも仕方がなかった事だと今は、落ち着いて思い出すことができます。
北海道で暮らした27年間。
仕事と育児、たくさんの経験と体験が私を成長させてくれました。
涙が溢れてどうしようもなく辛い経験も何度かあったけど、それも必要な経験だったのかな・・・
何が大切か、執着とは何か、物との向き合い方、思考や潜在意識などなど
たくさんの学びがありました。
この全ての経験が、今の私の考え方や思考となっています。
整理収納アドバイザーの1級を取るつもりでいたのですが、大阪に戻ることになり、色々あるうちに、月日が流れ、1級を取ろうかどうしようかなーと考えていたところ、たまたま読んだ雑誌に、“ライフオーガナイザー”の文字を見つけました。
その頃は、片づけアドバイザーとしての仕事も少しやっていました。
個人宅やアトリエ、美容室など。特にキッチンの片づけ依頼を多く頂いていました。
人それぞれ価値観が違い、片づけ方も違うし、片づけ方に正解がない!という事を感じていた私は、ライフオーガナイザーの、『思考の整理から始める』という言葉にとても共感し、直感で、「あっ、これ、学びたい!!」と思ったのです。
そして、2023年に『ライフオーガナイザー』の2級そして1級と、資格をとりました。
今までに住んだことのある建物は、団地・アパート・マンション・戸建てです。
家は2回建てました。
狭い場所から広い場所、色んな所に住んだ経験もあるので、どのような場所でも任せて下さい。

ここからは、私の出来る事
今までやった事などを書きます。
このまま、読みたい方はどうぞ見て下さい。
もういっぱいいっぱいだよーという方は
残念ですか、ここでさようなら(^^)/~~~
趣味として今までやった事
⚫︎読み聞かせ(小学校で12年間)子どもが通っていた小学校で毎週金曜日のお昼休みに順番で図書室で紙芝居や絵本の読み聞かせをしていました。年に一回は教室に入って授業の一つとして依頼をもらって読み聞かせもしていました。

⚫︎ゴスペル(3年間、楽しい思い出がいっぱいです。)
⚫︎自己啓発のセミナーをはじめ、数多くのセミナーに行きました。
とくに、ジョセフ・マーフィー 潜在意識に興味を持ち、本もたくさん読みました。
ここから、量子力学、波動、言霊など見えないけどそこにあるというものを大切にしたいと思うようになりました。(スピリチュアルとは少し違います。奥が深いですよね。)
⚫︎洋服作り (初めてのお給料でミシンを購入。今もそのミシンを使っています。)
子ども達が児童劇団にいた4年間は、何着もの衣装を作りました。
⚫︎料理、特に発酵食品を作るのも食べるのも好き。
⚫︎ハンドとヘッドマッサージ、アロマタッチ。民間の資格を持っています。
⚫︎他、パソコン関係などこんな感じです。

他にも書きたいことがあるけど、迷惑になりそうなので、この辺りにしておきます(笑)
という事で、片付けが大変で限界を感じているなら(感じていなくても)、一緒に理想の生活を考えましょう。
大切なものや価値観に基づいた、心地よい暮らしを実現し、シンプルで快適な毎日を手に入れませんか?
思考の整理から始める片付けで、あなたの理想の生活を私にサポートさせて下さい。
片付けを通して、シンプルに生きること。
心も身体も本来の自分自身を生きていけるお手伝いをしていきたいと思っています。

個人でのミッションは、“人々の幸せな笑顔のために行動する”
すべては笑顔のために・・そして世界平和・・・
ひとつひとつ、コツコツと、少しでも魂の成長のために、生きていきます。
試行錯誤して、いまだに もがいていますが、何事もチャレンジしていきたい気持ちです。
こんな私ですが、どうかよろしくお願い致します。