子育て・仕事・経営を同時に抱えていた頃の私
社会人になり、
はじめて一人暮らしを始めた時の喜びは、
今でも鮮明に覚えています。
誰に気兼ねすることなく、
自分の好きなように使える空間。
壁の色、家具の配置、ほんの些細なことまで
自分で決められることが、本当に嬉しかったんです。
社会人として最初に飛び込んだのは、不動産業界でした。
営業事務として働く傍ら、
会社が経営していたレストラン、宝石店、エステサロンなど、
さまざまな店舗の仕事も経験させてもらいました。
新しい場所、新しい仕事へ次々と飛び込む日々。
そのたびに住む場所も変わり、
今思えば、かなり目まぐるしい毎日だったと思います。
この頃から私は、
環境が変わるたびに、自然と「整え直す」癖がついていた
のかもしれません。
そんな中、
バブル経済の終焉とともに、勤めていた会社が倒産しました。
人生が一気にひっくり返るような出来事でしたが、
私はこの出来事を、新しいスタートだと捉え、
夏のシーズンだけ北海道で働いてみようと
(クラブメッド・北海道 サホロ)へ行くことを決めました。
そしてそこで出会った人と、
一年半後には結婚することになります。
人生は、本当に予測不可能ですよね。
北海道で始まった暮らしと、パン屋経営
ここから、
私の人生にとってかけがえのない
北海道での27年間が始まります。
(札幌1年・釧路4年・帯広22年)
本当は、大阪から離れたくありませんでした。
パートナーの実家は関東。
せめて本州で暮らしたいと願いましたが、
どうしても北海道で暮らしたいと言われ、
私が折れる形で、北海道での生活が始まりました。
彼がベーカリーで働いていたこと、
そして私自身、
小さな子どもを育てながら外で働く大変さを感じていたこと。
それならいっそ、
自営であれば育児も仕事も両立できるのではないか。
そう考えて、パン屋を始めることになりました。
(大阪の血なのか、
商売をすることに、私はまったく抵抗がありませんでした。)
1999年、
長男が3歳のとき、
そして次女が生まれたその月に、
お店をオープンしました。
まだ幼い娘をおんぶしながら
レジに立っていたあの頃を思い出すと、
今ではちょっと信じられない光景です(笑)😅
個人事業から法人へ。
事務仕事のほとんどは、自分でやっていました。
毎年の確定申告、
法人化の際には、定款も自分で作成し、
法務局での手続きも経験しました。
「できることは、自分でやりたい」
そんな性格だったのだと思います。
ただ、会社が大きくなるにつれ、
会計士さんに入ってもらい、
スタッフに頼ることも覚えていきました。
自分の時間を確保することも、
経営には必要なことだと、
少しずつ学んでいったのです。
仕事をしていく中で、
いつも考えていたことがあります。
「どうしたら、スタッフみんなが分かりやすく、
もっと仕事がしやすくなるだろうか」
包装資材の在庫管理を含め、
日々、整理整頓を意識していました。
整理整頓は、とても時短になります。
「探す」という行動に使う時間は、
本当にもったいない。
安全の確保、品質の安定、
原価や数字の把握にもつながります。
ないと思って仕入れてしまうこと、
動いていない商品も、
一目で分かるようになります。
職場の整理整頓は、
みんなでルールを決めて、
誰にでも分かりやすく、シンプルに。
この頃に、
整理収納アドバイザー2級を取得しました。
今思えば、
「どうしたら、もっと分かりやすく、続けやすくなるか」
を考えるのが、私はずっと好きだったのだと思います。
店をオープンしたのが、1999年、
2001年には、まだ多くの会社がホームページを持っていない時代に、
見よう見まねでパン屋のホームページを自分で作成し、公開しました。
作り方を教えてくれる人は誰もいなくて、最初に使ったのは
ホームページビルダーというソフトです。
本も一冊購入して、試行錯誤しながらドメインを取得したりと、
すこしずつ進めていきました。
その後も、
LINE@(今のLINE公式アカウント)を2016年に始め、
Canvaも2019年から使い始めています。
特別にITが得意だったわけではありません。
ただ、「自分で整えられたら、楽になる」
その感覚だけを頼りに、必要なものを少しずつ取り入れてきました。
当時は、これが未来の私の仕事になるなんて思ってもいませんでしたが、
今振り返ると、今の私の原点は、すでにこの頃にあったのだと思います。
パソコンに向かう作業は、とても時間がかかります。
それでも私は、分からないなりに、少しずつ経験しながら学んできました。
パン屋を始めてからの20年間は、
本当に、あまりにも色々なことがありました。
借入金の多さに押しつぶされそうになったり、
経営方針の違いに涙したり。
とにかく無我夢中で、
がむしゃらに進んだ20年でした。
誰にも頼れなかった、あの頃
誰も知り合いのいない北海道での子育ては、
想像以上に大変でした。
特に、下の子が保育所に入るまでの間は、
家事・育児・店の仕事・経理。
ほとんど眠る時間もありませんでした。
育児は、ずっとワンオペ。
下の子が1歳を過ぎるまで、
3時間以上まとめて眠れた記憶はありません。
正直、
「もう限界かもしれない」
そう思ったことも、何度かありました。
親に反対されて北海道に来たこともあり、
誰にも頼れず、
睡眠不足で思考も麻痺していたのだと思います。
二人の子どもが保育所に入ったとき、
先生からかけてもらった
やさしい言葉に、
その場で泣いてしまったことがあります。
たぶん私は、
ただ必死に、生きていたんだと思います。
子どもは本当に可愛くて、
ずっと一緒にいたい気持ちもありました。
でも、保育所に入って
「自分の時間が少し取れる」
「仕事に集中できる」
それだけで、とても嬉しかったことを覚えています。
今の私が、
あの頃の私に声をかけるとしたら、
こんな言葉を伝えたいです。
「大丈夫だよ。やっていけるよ。」
「あなたの頑張りは、私が一番よく知っている。」
「母親としても、本当によくやっているから。」
育児について、
もっとできたことがあったのでは…
そんな後悔がないわけではありません。
それでも、
二人ともとても優しい子に育ってくれました。
今は、それだけで十分だと思っています。


